てふてふと書いて蝶々と読むという事をきょう初めて知った。
これにはなぜかとびきりの美しさを見出した、時折、言葉が、本当に言葉だけがこの世で真に躍動している唯一のように思える、言葉、言葉。

火事で全部焼けちまったハ○モニ。などを録画してくれていたrei○aちゃん萌え(元tsu○jiちゃん萌え)の男性と偶然に(と言っても、いつも起こりうる偶然)会い、彼の連れていたA○ちゃんのファンだという19歳の女の子と数分間だけ、ほんの少し話をさせてもらう機会があったのだけれど、A○ちゃんがどこか遠くを見つめている瞳をしているという事を、なぜかこの子に話さなければ!と思い勇んでつい話してしまったのなら、とても強く同意してくれた、A○ちゃんはここではないどこかを見つめている、その瞳に置き去りにされる事は悲しいが、しかし、だからこそ、A○ちゃんの瞳は美しいと、やっぱりNYですかね!と最後に調子に乗って話してしまったが、彼女は前髪を触りながら笑ってくれた、こうした女の子の仕草は本当に美しい。

傘を股に挟んで歩く小学生の女の子を目撃した、おれがじっと見つめてもおかまいなく少女はそれをつづける、これは純粋かそれとも汚れか、少女を見つけてからずっとおれは悩み続けてる、この世界の多くの少女を語る人間の処女性にだけ特化した論説の全身不随具合には反吐がでる、そうした人間が大概、少女を理解しているのだと叫び出す、またも、少女の美しさに見惚れるその瞬間のなかにこうした怨念が混じり込んで腐食する事態に陥る、ああ、あの美しさ、きょうと言う日がなんのために存在していたかなどなぜ考える事が必要だと言うのだろうか、あの子が傘を股に挟んで遊ぶために小雨が降ったのだ!、おれはそう思った!、悪いか!、